だいさんのまど(仮)

手書きの日記は字が乱暴で読めなくなりました。じゃあせっかくなので世界の片鱗に刻んでみようかな。書いて読めりゃいいんだ。

近況

疑ってしまっていたもののすべては、

結局私が欲張りで、優先順位も具体的につけたがらないから溢れた

「やってみたいこと」だった。

 

その中の大きな一つは、

日本語教員養成課程。

 

高校時代に自ら進んで取り組んだ唯一の問題だった。

その初心を取り戻した感じ?

 

ひとつくらい、成し遂げていいのではないか?と

 

 

 

 

 

 

 

この悩ましかった長い日々に、何を学んだかというと、

自分の「好き」と「やってみたい」

は案外違うのかもしれない、ということ。

 

 

 

思い出してみれば、

小学生時代、「好き」で柔道を習いたい、と言ったわけではないし

(むしろ、私はスポーツに向いてない性だった)、

「好き」でそろばん教室に行きたい、と言ったわけでもなかった。

「好き」というより、むしろ「ニガテ」な数学の克服をしたいがために塾に通った。

 

柔道とそろばんに関しては、なんとなくできたら「カッコイイ」と思ったからだった。

 

全く、いくら性格上の問題といえども、考えすぎないと気が済まない性は、

答えにたどり着くのに最大の遠回りである(が、そんな私を嫌いではない)。

まあ「遠回りが最大の近道だ」というから。

 

(不思議なものだが、

このような哲学を、中学生の頃の私は難なく乗り越えていたような気がする。大人になることは、やはり厄介なのかもしれない。脳の衰えなのかもしれない)。

 

 

 

 

 

 

 

 

ひとつのことを書くことに集中してしまうと、もうひとつ、ふたつの事項を忘れてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

ああ、

実は優柔不断で、あらゆるパターンを考え、並べてからでないと選択できない性だった話。勢いでコレ!!!!と決められる人間だと思っていたが・・・それだと後悔も多かった。

 

直感的なのは噓ではない。

直感的に感じるのは「好み」の話で、

慎重にジャッジすることは、選択する方法の話だ。

 

 

んんんんん、その説明でも無理があるかも。

自分が多少慎重になったってことかな。

「勢いでジャッジ」は語弊があるかもな、一応直感にしがってジャッジしてきた。

直感が鈍った?

疑い深くなった?

 

環境も変わったし、私の潜在能力的な直感だけでは対応しきれなくなってきたということだ。これからも人生の岐路に立つときは、今までよりもっと複雑な問題なのだろう。

それでも選択しなければならない恐怖。

それにまだ、立ち向かったことが私にはないのだ。

でも「人生は選択の連続」と聞いたから。

怖い。

 

覚悟とは?・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとパーソナリティの類でもう一項目考えていたことがあったと思うのだが・・・

 

 

 

 

 

 

あ、私は「外向的」ではなく、「内向的」なことだ。

これも、多少変わったのだと思う。

 

以前は、人間関係が広ければ広いほど良いと信じていたが、

今は、友だちは少なくていいという価値観になった。

 

ミニマリスト」になったイメージ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、O先生との面談日だった(7月、週一回全4回、お時間下さりありがとうございました)。

 

 

 

先生の話を聞いていて、

私は、そんなに勉強好きかなあ?と疑った(もう疑うのやめたい)。

これまた人生の経歴と経験がちがうのに比べても仕方ないから諦めろ、と私に言いたい。

 

 

でも、「なんでも興味あります!」はちょっと嘘くせぇか?

と思ってしまったのだ。

 

だって私は、そもそも飽き性なので。

 

 

いやいや、でも、そろばんや柔道が続かなかったけど興味をもってやってみたように、

 

プログラミングや言語がすぐ冷めたけど、やってみた、

っていうのと同じだから、

 

「興味は幅広いです。勉強好きです」

でいいんじゃない?

 

 

 

 

これから「やりたい」学問はね、

 

取りえず哲学と日本文学の概論は取りたいね!サブで言語学も。

 

広く浅くスタイル~

 

経済学は教養として。

 

プロから話が聞きたいんじゃ。

本の真偽を確かめたくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、今大学の数学(微積?)について、妹が話してて、

学問について考えさせられた。

「高校数学までの教科書に書いてあるものとは『別物』だ」と。

 

文系も一緒だけど、その学者によって論派というか理論が違うわけで、

 

「学問とは、各学者の芸術みたいなものだもんね」

と、意味わからんことを言ってしまった。

 

要するに、誰かにとっては興味がないことでも、その人の世界で問題意識があるものをその人なりの方法で解き明かすもので、

 

学問は自由だよね!ってこと。

 

 

 

 

はい、そうしてください、あなた(私)も。

 

それが美しくて楽しんでしょ?

 

 

 

【追記】

そういえば、ブログやってるとは言えなかった。

「毎日日記を書いているんですよ」でごまかした。

 

まだ、「社会を裸で歩く」覚悟が決まっていない。

「恐怖」と一緒に歩いていくことの。

 

私はシャイだった。