だいさんのまど(仮)

手書きの日記は字が乱暴で読めなくなりました。じゃあせっかくなので世界の片鱗に刻んでみようかな。書いて読めりゃいいんだ。

心に引っかかったものは、置き去りにせず、手に取りしまっておくこと。

昨日、東京五輪の開会式があった。

 

選手の入場を目の当りにして、

世界は広かったこと、

世界には様々な人がいること

を思い出した。

 

 

なぜか安心した。

まだ私の知らない広い世界があることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、新しい癖に重いスマホだったから、

画像を整理していたら、

ある時にtwitterでバズっていた太宰治の『正義と微笑』の一部の画像を見つけた。

 

 

 

 

「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業して学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、物理でも化学でも、時間の許す限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つということなんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」

 

 

 

この画像を保存しておいて、良かったなあ。

勉強の意味というか、そういうことが、言語化されている文学に出会ってよかったなあ。気になってたんだもん。知りたかったんだもん。

 

そのときふと気になったもの、引っかかったものは写真に残しておくといい。

あとで見返したときに、私を助けてくれる。

 

 

 

 

日本文学が学びたい。

アジアの古典を学びたい。

日本語で学べば、もしかしたら、外国語にもっと興味湧くかもわからない。

それを期待したい。