だいさんのまど(仮)

手書きの日記は字が乱暴で読めなくなりました。じゃあせっかくなので世界の片鱗に刻んでみようかな。書いて読めりゃいいんだ。

近況

9/19(日) 休学ヨロシク宣言

9/20(月) 父母と行田、田んぼアートと埼玉古墳、帰りに梅林堂

9/21(火) 休学届提出

9/22(水) バイト

9/23(木) 眼鏡直しにイオン、雑誌吟味に蔦屋、雑誌系、買い物って色々迷う時間が楽しいのね。その時間に酔いしれて、最終的に買わないのもありなのね。雑誌購入の基準を大きく変えた。どうせ推しのページしか興味ないのならば、丸々一冊にお金を払う必要はない。それから、アイドル誌は所詮「アイドル」誌。フリマアプリで初めて「切り抜き」を購入してみる。自分のものにしたいくらいの気に入ったビジュアルのものだけ、新品を買い求める。そんな基準が自分の中で自ずと組み立てられ、購入するかしまいかの吟味さえ、買い物の醍醐味だということに気づくことができた、という経緯だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

色々ありすぎたし、感情ぐしゃぐしゃになったけれど、全部さらけ出したので、もう恥じること隠すこと何もないんじゃない?というのと、より家族間のコミュニケーション&絆がいい方向へ行った気がする。

 

もう我慢しなくていい。せめて家族の前で「良い顔」「良い子」をする必要は、ない。もう、ない。

 

’’過去は変えられない、そう君は嘆くけれど

今語り合う未来がそれを、彩っていくんだ”

♪嵐 / Find The Answer

 

過去はもう変えられない。

まぎれもなく、私が下した決断。

でも「変えられない」という事実があるからこそ、

これからどうしていくのか、その目標を定めようと、

前に進もうとして、また一歩進めるかもしれない。

行田に向かう車でたまたま流した嵐の曲たちが、

私を元気づけた。

隣で鼻をすする音がしたのは気のせいか。

父は「カイト」をわざわざ2回聞いた。

 

ところで、行田に行くとき高校の前を通ったけれど、

私はもう、「懐かしさ」を通り越した感情だった。

「今の私は、ここにはいない。今の私は、あの時の私とは違う」

「今の私は、まぎれもなくこの自分なんだ」。

そう感じた。

大好きな時代は、色彩そのまま残り続け、生き続ける。

それはそれでいいんだ。

全く違う世界が私の前に現れようとしている。

 

 

 

ドリボ(17日)に行くも、眼鏡を忘れてしまったのがショックだったから、眼鏡を直しに行きたいし、コンタクトを作りたいと思ったが、それよりも、私の感情は前よりも動かなくなったことが、生きている上で豊かだとは思えない要因であることにうすうす気づいている。

他にも、めまいを頻繁に起こして、睡眠時間が増え、過食になった。

だが、非常に俯瞰的で客観的な視点・感想はより鋭くなっているようにも、同時に、感じる。川崎皇輝の演技力に目を引いたことだとか、7MEN侍に楽器を持たせたのが大正解だとか・・・

そんなことよりも、あまり感情移入できなかったのは、なぜか。

やはり、どこかで「ジャニーズの舞台」であることが大きく私の心の範囲をとっていたからなのか。

 

田んぼアートだとか、古墳だとかにも、さほど感動しなかった。

私が最も心奪われたのは、古墳の裏側、日の目に当たらないような場所にある古い「休憩所」だった。古い作りが非常に魅力的で、いつからの歴史なのか、その時は休業だったけれど、営業しているときはどんな様子で、どんなものを売っているのか。年季を感じる厨房とカウンター。インクの少し剥がれ落ちているが、なお存在感のある「休憩所」の文字。残念ながら、車にスマホを置いてきてしまって、写真を撮ることができなかった。

 

私が心惹かれるもの。

古いけれど掃除が行き届いている古民家。まだ「生きている」、「長く息をしている」建築物。

 

そう、これだ。私が惹かれるもの、必ず(このように言語化などして)認知するべきだ、と感じる。

それは、私が今すべき「努力」のように感じる。