だいさんのまど(仮)

手書きの日記は字が乱暴で読めなくなりました。じゃあせっかくなので世界の片鱗に刻んでみようかな。書いて読めりゃいいんだ。

さあ、どうしましょうか

記憶が鮮明なうちに書いた方がいいと思うから、一応パソコンに向かってはみたものの、覚悟が決まってないからなんだかなあ。

 

半ば強引な気がしているのもそうだろう。

 

「どうすべきか」より「どうしたいか」かもしれないけれど、

 

私はいい子なので「どうすべきか」を考えないわけには、やはり、いかなかった。

 

それは、単純に私に「勇気」や「自信」や「覚悟」や「責任」がないからなのだろう。

 

 

でも「やってみなきゃわからない」。

 

 

「やってみて、やめてもいい。やめて、また、やってみてもいい」。

 

「どうにかなるさ」。

 

そうだよね、そうなんだけど、

 

 

なんで、こうも胸がスースーするんだろう。

 

怖い。きっと、ひとりで生きていくことが怖い。

 

 

 

 

最近になって、よく思い出す幼い頃の風景がある。

 

それが夢だったのか現実だったのかも覚えていないが、

 

その視覚的記憶は鮮明だ。

 

 

 

 

 

 

 私は、父・母・妹のいる場所を離れた。

 

離れたといっても、隣の部屋に移動しただけだ。

 

壁を隔てて、あえて、3人の姿が見えない場所の椅子にすわった。

 

その椅子は、座るところがスライド式に開閉して、中が収納になっている子どもサイズのもので、色は赤かった。

背もたれやひじ掛け部分は一枚の布を隔てて、中はスポンジだった。

その布とスポンジから漂う、どこか他所の家の古臭い匂いさえ、覚えている。

 

 

私は「旅に出る」と父母に言い放っていた。

 

ただ壁を一枚隔てただけなのに、

私は急にさみしくなった。

 

ひとりでいることはこんなにさみしいのか。

 

泣きたくなった。

 

 

最終的に、私は父母のもとに戻ったような気がする。

 

その後、なんて言ったのかは忘れた。

 

 

 

 

 

この場面を、最近になって、よく思い出す。

 

 

私はいつか、家族と壁を隔てるのか、

 

遠くに離れるのか。

 

私はいつか、ひとりになってしまうのか。

 

 

 

 

 

 

 

そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終的には、引き返してしまうのか。

 

孤独に耐え切れず?

 



 

「孤独」と引き換えに、

どこからともなくやってくる「負」の感情を、

行き場のない「怒り」に変換し続ける日々を送るのか。

 

 

「自由」と引き換えに、

「いい子」を着るのか。

 

 

どっちの方が、幸せなのか。

本当に「いい子」は不幸なのか。