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柳田國男は『木綿以前の事』でこのように言っていました。「どうしても独の力では始末できぬように、この世の中はなっているのである」「(でもそのことを)静かに考えてみると損もあり得もある」「(そのなかには)もっと我々に相応した生活の仕方が、まだ発見せられずに残っているように、思っている者は私たちばかりであろうか」と。
「独りの力では始末の」つけられないことが僕たちにはたくさんあります。でも、美しい布にはひとの心を動かす力があります。そしてひとには、発見する力がある。きっとそのふたつの力が、何かを生み出していくだろう。そう思いました。
―― 三谷龍二『「生活工芸」の時代』
自分の子さえよければ
わたしは、人間のほんとうの幸せとは「充実感のある生き方」だと思っています。骨を折らない、つまり、努力を必要としない仕事に充実感はありません。
たとえ、親よりも苦労することがあっても、親よりもたくましく。親よりも
根張り強く、人生を生きぬいてゆく力と智慧とを子供に与えておく、それが一番正しい親の愛情であり、義務であると私は思います。
負ける練習
長い人生には自分の思いが通らぬ場合がたくさんあります。思うようにならぬのが世の常であり人生です。むしろ、自分の思うようにならぬほうがはるかに多いのが人生です。それならば人生の的を思うようにならぬ方に合わせるべきです。思うようにならぬ――それは、ことばを代えれば負けることです。カッコよく勝つことではありません。自分の思い通りカッコよく勝つことは人生ではごく稀です。だから人生の的を確立の少ない〈勝つこと〉に合わせないで、確率の多い〈負ける〉ほうに合わせておくことです。それが負ける練習です。(中略)勝つことばかり考えて、過保護に育てられた子供は、その分だけ「いのちの根」が浅く、親亡き後の本人の負担が大きいことを知るべきです。
人生、自分ひとりの力じゃどうにもならないこと、思い通りにならないこと=負けることが、大半だという。
そんな同じ話が、たまたま手に取った本のどちらにも書いてあるんだから、本当なんじゃない?