だいさんのまど(仮)

手書きの日記は字が乱暴で読めなくなりました。じゃあせっかくなので世界の片鱗に刻んでみようかな。書いて読めりゃいいんだ。

我の話の飛躍の次元 その1

ブログを思い出してからというもの、

 

毎日書きたいことが溢れ出す。

 

 

働く義務。

 

質素な夢。

 

学問の限界。

 

自分を含めた人への、怒りと焦り。

 

両親と祖父母の信条と私への願い。

 

私自身。

 

 

 

 

一文無しになってみたらどうなるのだろう。

 

アイドルはあくまでも束の間に癒しにすぎないなあ。

 

何にもしたくないなあ。

 

 

こんなことをただ一日中考えては疲れるだけな毎日を長いこと続けている。

 

 

 

 

 

 

コロナは私に大きな障害をもたらした。私だけではないが。

 

 

人と会わなければ会わないでも平気な性分なのは、幼い頃を振り返れば当然のこと。

 

 

 

あ、幼稚園の頃の記憶といえば、

 

一番好きだったAちゃんが一緒に遊んでくれなかったこと。

だから、私は優しそうな、弱そうな友だちのところに行った。

 

最終的には、Aちゃんは私と仲良くしてくれて、今となっては一番古い旧友なのだが、

そうなれたきっかけは、

Aちゃんが当時(今でも)仲良くしていたBちゃんと喧嘩して

 

「絶交だ!!」

 

なんてBちゃんに向かって言った次の瞬間、

 

「これからは、みーちゃん(私)と仲良くするもんね!!」

 

といったことだと、勝手に記憶している。

 

 

当時の私は喧嘩なんて知らなかったし、今も大してわからないが、

 

とにかく、Aちゃんが、そう言い放った瞬間に私は

 

「認められた」と思ったのだ。

 

本当にくだらない話で、向こうはそんなつもり1ミリもないし、

たかが幼児の喧嘩で、本気ではないのに、

私はその一瞬で嬉しくなってしまったのだ。

 

幼稚園時代、一番鮮明な出来事といえばこれである。

 

 

あとは、私はとにかく、「大人」に褒めてもらいたがった。

 

少しでも先生の手伝いをすれば、

「私がやってくれて、助かった?」と、

先生に直接聞く変人だった。

 

今考えてもおこがましいし、

何より

 

「あなたのためにやってあげてるんだから」

 

の姿勢が良くない。

全く優しさではない。

 

この精神に対して、最近の私が気づいたんだから、

まあ人より少し生きるのが苦手なのも

わかるっちゃわかる。

 

まあ、家庭に問題があると言えばそうだが、

 

美 少年くんたちが主演を務めた「真夏の少年~19452020~」の作中で、

 

購買のお姉さん(長井短さん)が

 

『…子どもも子どもで、親のせいにできるから…』

 

というようなセリフがあって、

 

それを聞いた私は、

 

結局自分の人生の責任は自分で取るしかないのだ、ということを

 

とても強く感じたわけです。

 

 

 

 

 

ダルいわ。

 

 

 

 

これが正直な感想です。人生への。

 

そうだよ、人は皆いつか死ぬのにね~

ってガメさんもそんなこと書くから余計。

 

きっとみんな同じこと考えてんだろうな、と思うと、

 

それはそれでつまらねえけど。

あんまり得しない考え事なのかもしれないねと今思った。

 

 

 

 

 

え、何の話してた?

(私の頭の中では、こういった次元で話が飛躍してあちこちに行って、

それでプチパニックになるのかあ、と学べたので、今回も自由気ままに脳内から溢れ出す感情と言葉に任せて書いたことに意味があった、と思うことにする)。